皆様、こんにちは。
ハンチングで御座います。
退職すれば、もう今住んでいる街に住み続ける理由なんてない。
にもかかわらず、住み続けないといけない。なんて人生の時間の無駄使いなんだろう。
どうせ日本に縛られるなら、その1年間をもっと有意義に過ごせないだろうか。
そう思ったら居ても立っても居られなくなった。
僕は那覇に飛んでいた。
1年だけ那覇へ住む。
その間に流行り病も終息するだろう、その後タイへ行く。
そうなると今住んでるアパートから大金払って業者を使って引っ越しするのは得策ではない。
そういえば今年の2月から、コロナ禍で苦境にあえぐ沖縄のとあるホテルが、1年貸しサービスを始めたはず。
電話で問い合わせるとホテルの部屋の半分を1年貸し、半分を通常のホテルとして営業してるとのこと。
だとしたら自分で泊まって住み心地を確認出来る。
航空券を取ったと同時にホテルも3泊予約、滞在してみて良かったらそのまま契約するつもりで那覇空港からそのホテルへ向かった。
那覇市牧志。
那覇のど真ん中と言っていい、そのアーケード街の中にそのホテルはあった。
なにが良いかってホテルを出るとすぐにアーケード街なのだ。
例え雨が降っていても、濡れることなく徒歩数分で国際通りまで行けてしまう。
雨の多い沖縄で住むうえでこれは非常に助かる。
部屋はベットルームに対面式キッチンを備えたリビングがあり、バストイレは別、テレビ、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機まで室内に完備。広さは27平米でホテルとは思えない広さ。加えて築年数は4年で新しい。
家賃は5万円。
僕が住んでる安アパートとは格段の違い。
凄い、凄いぞ。
一晩泊って住み心地を確認したのち、不動産会社へ内覧したい旨の連絡をした。
ハンチング
部屋を見たいのですが。
不動産屋
いま2部屋だけ空きがあります。ただ部屋のレイアウト一緒で、今ハンチングさんが宿泊してる部屋と同じなんですが。
ハンチング
ベランダからの風景も確認したいのでお願いします。
不動産屋
分かりました。では明日、必ず連絡します。
僕の泊まってる部屋は7階、2つあると言う空き部屋は共に2階だった。
一応、ベランダからの感じは確認しておきたい。それと室内も万が一傷んでたりする可能性も無いわけではないだろうからやっぱり見ておきたかった。
次の日。
午前中に鳴るであろう電話を待っていたのだけど、鳴らなかった。
さすが沖縄、なんだかタイっぽいな。
お昼を部屋で食べる。
午後も内覧が控えてるのだから、そうそうホテルを離れるわけにもいかず近場をうろうろして時間を潰した。
でも、結局その日、電話が鳴ることはなかった。
その日は寝る事にした。
那覇滞在最終日の朝を迎えた。
この2日間。
久しぶりに訪れた那覇を、僕が住むかもしれないホテル周辺をウキウキしながら歩き回った。
その結果、あることに気が付いた。
那覇の街ってすごく小さいんだな。。。
1年ぶりに来たにも関わらず、行きたい場所がもう見当たらなかった。
僕はこの街に1年住もうとしている。
しかも今住んでるアパートよりもより高い家賃を払って。
そこまでして那覇に住みたかったのだろうか僕は。
本当は。
那覇に住みたいのではなくて、那覇にタイを求めていただけなのではないだろうか。
そして那覇まで来てようやく気が付いた。
那覇はタイではないことに。
那覇は日本だということに。
那覇滞在最終日。
結局最後まで携帯が鳴る事はなかった。
そして僕も確認の電話を掛けることはなかった。
夜の便で僕は帰る。
ホテルをチェックアウトして観光で行きたい場所を考えたけど、どこも思い浮かばなかった。
あてもなく国際通りをウロウロし、ブルーシールのソフトクリームを舐めた。
新生活に思いを馳せ意気揚々と来たはずなのに、最終日は人が変わったように、まるで「一泊二日で初めて那覇へ旅行へ来た」ような観光客じみた時間を無為に過ごした。
那覇までノコノコとやって来て分かったことは「移住したい場所はタイ以外ない」ということだった。
滑走路を飛行機がうなりを上げて加速して飛び立った。
那覇の街がどんどん小さくなってゆく。
夜になり明かりを灯し始めた街を見下ろしながら「もう那覇に来ることはないのかもしれない」
そうと思うと、少しだけ切なくなった。
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