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デュアルライフ第3弾。
バンコク&大分県杵築市デュアルライフをお届けする前に、日本一家賃が安い街、大分県杵築市はなぜ生まれたのか?その歴史を探りたい。
大分県、北東部に位置する杵築(きつき)市。国際線も飛ぶ大分空港まで15キロ、車で20分ほどと企業立地としては悪くない。
時は遡って今から40年前、1980年初頭、税制優遇や低金利融資などをふんだんに盛り込んだ国の「テクノポリス構想」に杵築市が指定され、キャノン、ソニー、東芝と言う日本を代表する大企業の誘致に成功。
1980年初頭の時代背景を鑑みると当時、世界を牛耳っていた日本の電機メーカーの進出に杵築市が歓喜したことは想像に難しくない。
企業が進出すれば街に雇用が生まれ、市の財政も潤い、経済が回る。少なくとも杵築市民は美しい未来図を描いていただろう。その眩い未来が色褪せ始めたのは2008年秋のことだった。。
家賃1万円で投げ売りされるアパート群
投げ売りされているアパート群の外観はそれほど古くない。部屋の広さは25平米ほど、バス、トイレ別で、独立洗面台まである。大抵の日本人であれば住むことに何の躊躇も感じない質感のアパート。
それなのに家賃1万円でも借り手が付かないのは何故か。。
今から22年ほど前。1999年キャノンの工場が杵築市に進出することになった。工場の規模は大きくグループ全体で3000人。杵築市は市を挙げて従業員向けのワンルーム賃貸の建設を促進。金融機関やJA融資を行い、周辺の農家がどんどんアパートを建て、当時は相応な賑わいをみせていた。
リーマンショックで状況が一変
2008年秋、世界経済をリーマンショックが襲う。太平洋の遥か彼方、米国に端を発した金融危機、その影響は米国に留まる事を知らず世界経済に大きな打撃を与え、その影響はついに日本の片田舎、杵築市に甚大なダメージを与える。
リーマンショック以降、派遣切りが始まり、大幅な人員削減。10年一括借り上げ契約も一方的に解除、その結果、キャノンマネーで潤っていた街が「空室地獄」と化した。
市の危機に杵築市長が立ち上がる
時は2008年12月。杵築市の危機に市長が動く。
「杵築市が非正規失業者を臨時職員として雇用」
ニュースのインタビューで八坂恭介市長は。
「この年末年始の寒空の下、非正規失業者を路頭に迷わす訳にはいかないと、臨時ではあるが直接雇用することを決断した」と伝えている。
市は支援策を検討した結果、市内には再雇用を見込める企業が少ないことから直接雇用することを決定。市役所の全25課が1~2人ずつ確保。相談者の中には実家に帰る交通費さえないという人もおり、市は1か月間の雇用でも生活支援につながると考えていた。
臨時職員の給与は、平均月額11万円前後。住居は、市が民間のアパートを借り上げるか、市営の宿泊施設を提供し家賃の一部を市が負担する。これに対し当時の厚生労働省は「自治体が直接雇用するケースは聞いたことがない」とコメントしている。杵築市の対応がいかに手厚かったかを物語っている。
杵築市の歴史を調べていた所、2008年12月16日付けの読売新聞の記事を見つけた。
杵築市が当時の苦境をなんとかしようと言う状況が生々しく伝わってくる記事だ。
大分キャノン関連の失業者、杵築市が臨時職員で雇用へ
大分県の大分キヤノン(国東市)と関連会社の大分キヤノンマテリアル(杵築市)の減産計画に伴い、非正規労働者約1200人が段階的に雇用契約を解除されている問題で、両社の非正規労働者約2000人が在住する杵築市は、失業者を臨時職員として雇用する方針を決めた。
また大分県は15日、社員寮などを離職者に無償で提供する事業主に1人当たり月額4万円を上限に家賃を助成すると発表した。雇用情勢の急激な悪化を受け、自治体が独自の対策を打ち出し始めた。
杵築市は、希望者を最長1か月、交代で来年3月まで雇う考えで、16日から申し込みを受け付ける。解雇された非正規労働者への支援策を打ち出す自治体が相次いでいるが、厚生労働省は「自治体が直接雇用するケースは聞いたことがない」としている。
市緊急雇用等対策本部によると、非正規労働者の多くは請負会社などが借り上げたアパートに入居している。今月に入って、突然解雇された非正規労働者から「再就職のあてがない。アパートも引き払わなければならない」といった相談が寄せられるようになった。
市は支援策を検討した結果、市内には再雇用を見込める企業が少ないことから直接雇用することを決定。市役所の全25課が1~2人ずつ確保することを目標に、人員を調整している。相談者の中には実家に帰る交通費さえないという人もおり、市は1か月間の雇用でも生活支援につながると考えている。
採用は、面接を経て随時決める。市内在住であれば、住民票を移していなくても応募できる。給与は部署によって異なるが、臨時職員の場合、平均月額11万円前後という。住居は、市が民間のアパートを借り上げるか、市営の宿泊施設を提供する。家賃は未定だが、一部を市が負担する方針。
(2008年12月16日 読売新聞)
その後の杵築市
失業者の臨時雇用と言う、市の涙ぐましい努力も、そう長続きはしなかった。そして街からキャノンの工員が姿を消した。
40年前、国の「テクノポリス構想」に指定され、キャノンの大工場が建設され、市の人口は増加。多くの従業員が住み始め、当時の住民はバラ色の未来図を描いた。だが、経済危機に遭遇し企業の戦略にも大きく左右されながら、少しづつ住民が思い描いた未来予想図は色褪せて行った。そのことは、空室だらけのアパート群が如実に教えてくれる。
需要と供給のバランスを大きく失った杵築市のアパート群は家賃の下落を招いた。
キャノン需要に沸いた2000年頃、4万円に設定していた家賃だったが、2016年には「家賃千円、管理費3700円」まで暴落。
それでも空室は目立ち、一棟丸空きアパートも珍しくなく、ついには自己破産するオーナーが出始めた。
そして2021年2月現在、賃貸の需給バランスは改善されることもなく、築10年~20年程度の状態に何ら問題の無いアパートが投げ売りされている。
さすがに家賃千円は姿を消したが、家賃1万円前後のアパート群はいまだ健在だ。
この杵築市の歴史は、ひとつの需要を当てにした、不動産投資の恐ろしさを教えてくれている。
この記事をここまで読んでくれた読者の皆様、ありがとうございます。
日本一家賃が安い街、大分県杵築市はなぜ生まれたのか?
少しは分かって頂けたら幸いだ。
前章はここまで。
次回。
デュアルライフ第3弾。
バンコク&大分県杵築市デュアルライフをお届けする。